生誕190年記念 豊原国周

前回太田記念美術館では図録がない展覧会でもnoteで図録のかわりにと紹介されていたので勘違いして、前期は見逃してしまいましたが今回の「生誕190年記念 豊原国周」の展覧会図録は無くなり次第廃盤になるとのことで、慌てて後期展示を見に太田記念美術館へ行ってきました。

浮世絵に夢中になってから色んな展示を見てきて豊原国周の作品も見たことがあったと思いますが、葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳ばかりみてしまい、まだまだ浮世絵好きとは言えないなと感じました。豊原国周は幕末から明治にかけての浮世絵師で兄が南伝馬町で押絵屋を開いたことをきっかけに押絵を近春(隣春の説あり)に学び、一遊斎近信または豊原周信という絵師を師として役者似顔絵を描くようになったそうです。その後14歳の時に三代豊国を襲名していた歌川国貞に入門し、17年もの間師匠のもとで学びましたが、国周は国貞に破門されるなど師と必ずしも円満ではなかったとのことでした。しかし浮世絵では生涯、師風を強く意識した作品を描き続けたとのこと。国周の大首絵の作品を見て東洲斎写楽に似ているなと思っていたら、国周が「写楽以来の第一人者」と呼ばれていたとのこと。東洲斎写楽の「三世大谷鬼次の江戸兵衛」がよく知られていますが、国周の大首絵はさらに大きくほとんど実物大の顔の大きさにまで引き延ばされているとのこと。帰って写楽の絵を調べたら国周の大首絵はダイナミックだったなと思いました。歌川国貞と歌川国芳は歌川豊国の弟子で、国周は国貞の弟子でしたが、国芳にも憧れてをいだいていたようで初期の作品に国芳や門下らの武者絵を学習した跡がうかがわせる作品や「かべのむたかきいろいろ」という作品は2023年4月に「江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし展」で見た国芳が数多く描いた役者似顔を用いた戯画の中でも傑作の一つに数えられている作品「荷宝倉壁のむだ書」のパロディだそうで見てすぐにわかりました。国芳にかなりのリスペクト抱いていたんだなと感じました。国周は生活や私生活がとにかく破天荒だったみたいですが、生涯で117回も引っ越しをして、「絵では北斎にかなわないが、引っ越しでは負けない」豪語していた話が面白かったです。ちなみに北斎は93回です。明治時代には西洋文化も入り歌舞伎役者達が丁髷でなくなっていたり、役者が日焼けしないようにと釣りの最中に顔マスクを渡す描写や、今まで見たことがなかった水の中から身体が見える描写の浮世絵など、木版でこんな表現ができるんだという作品を見れて良かったです。前期の作品も見たかったなと思ってしまいました。会期は3月26日水曜日までやっています。興味がありましたら是非。

スタイリスト山邉