北斎×プロデューサーズ 蔦屋重三郎から現代まで〜

以前「江戸の本屋さん 板元と庶民文学隆盛」を國學院大学博物館に行って、蔦屋重三郎と葛飾北斎のつながりがあったことを知りましたが、今回すみだ北斎美術館で板元たちが北斎をどのようにプロデュースし、どのような作品を世に生み出したかをテーマにした展示があり「北斎×プロデューサーズ 蔦屋重三郎から現代まで〜」を見に行ってきました。

驚いたのは北斎は初代蔦屋重三郎より二代目との関わりが深かったことでした。北斎が若かったこともあるもありますし、初代が48歳で病没してしまったこともあるかもしれません。二代目とは豪華な狂歌絵本や摺物を多く製作する一方、時太郎可候(ときたろうかこうべくそろ)というペンネームで戯作を手掛け、4冊の黄表紙を執筆し、次々と出版したとのこと。北斎が絵だけでなく作家の才能もあったことが今日一番の驚きでした。ペンネームが面白いなと思って思い出した名前が「画狂老人卍」。調べてみたら北斎は生涯約30回も画号を変えていて最後の画号が「画狂老人卍」。卍は北斎が64歳ごろから川柳を詠むことにハマり、川柳の号が「卍」だったそうです。約30回変えた中に画狂人→画狂老人→画狂老人卍と徐々に変化させて最後は川柳の号と合体させたとのこと。北斎が作家もやっていたのも驚きましたが、まさかペンネームから川柳にはまっていたことも知ってさらに驚きました。蔦屋重三郎の他に「冨嶽三十六景」を出版した西村屋与八や「北斎漫画」では永楽屋東四郎など、本人の自画像入り解説で國學院大学博物館で見た戯作者が出てきたり北斎を通して色々つながったり知ることができて良かったです。会期は前期4月20日日曜日まで、後期4月22日火曜日から5月25日日曜日までやっています。興味がありましたら是非。

スタイリスト山邉